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第58回関東甲信越静里親研究協議会埼玉大会レポート



平成24年7月7日(土)
さいたま市
浦和ロイヤルパインズホテル

第一分科会 「地域の理解と子育て支援」里親の孤立化を防ぐには、地域の協力と理解を得るにはどうしたらよいか

助言者:自立援助ホーム ベアーズホーム 大島祥市氏
司会者:埼玉県中央児童相談所 担当部長 相澤孝予氏
座長 :山梨県きずな会 会長 小田切則雄氏

(はじめに)
(助)里親家庭に限らず、一般家庭・施設でも養育の難しさの度合い上がってきている。被虐待経験、愛着・発達障害のある子は集団生活への不適応が多く、学校や大規模施設での生活が大変。里親、小規模施設、ファミリーホームへのシフトはそれへの対応。それを支える支援システムの整備が必要。
里親によるの養育の形としては<養育力の高い里親制度を作る>方向へ、社会的養護の1形態としての意識をより高め、サポートを得て孤立しない子育てをしていく。地域・学校の無理解が子育ての困りごとの大きな要因、体験を共有し、意見をまとめて伝えていくことで開けてくると思われる。

(意見発表)
・受託時に近所にあいさつまわりをした、引越しのあいさつのような感じで。里親姓は使わなかったので、家の表札を里親のものと児童のものと2つの苗字で出したら周囲の人も児童の友達も なんとなく伝わったように思う。児童は自分の口で友人に伝えることもできていた。
(助)里子ということをオープンにしないことで生じてくる問題がある、本人の心情的なつまづきについてはその場で急にという対応は難しいのであらかじめ児相に相談を。
・地域の活動(花壇づくり、清掃、お祭りの準備)に子どもを連れていく。最近の子たちはなかなかそういう場に出てこないのでそれだけで「えらいね」と褒められることで本人も楽しそう。 自分が年齢的に腰などが辛い作業を手伝ってくれるので助かってもいる。
・委託時からオープンにしたい気持ちがあったのでどう紹介しようかと考えた。自治会長、民生児童委員と知り合いだったのでまずはそこから、そのつながりで子ども会・地域の祭りへの参加 をすすめてもらった。本人がどう紹介してほしいか、してほしくないかを毎回確認しつつ説明もして行っている。地域で活動している人が子どもを知ってくれていることは安心につながる。
・一時保護で乳児を預かって連れていたら「0歳児が里子に来るはずがない(そんな小さい子は里子にならないとの思い込み?)」と言われ驚いた。一般の里子のイメージはある程度の年齢の 子からというものがあるのかと思った。(ドラマや本だと0歳委託はほとんどないからかも)
・里親姓で生活していると、病院等で本名で児童が呼ばれたときに里親としての自分の存在がふっと消えるような感覚で寂しさがあった。 告知後に本名を使い始めたときにはなぜかほっとした気持ちを感じた。(何かオープンにしないことの不自然さや後ろめたさがあったのかも) ・地域に里親が少ない、委託が少ないことは新たな里親の登録に支障となる。地域の相談機関の経験も知識も少ないと里親として頼ろうという気にならない。一般家庭で生じる問題は里親家庭 でも生じる(親の介護、家族の入院など)が、里親家庭であるがゆえに余分な説明の必要や手続きの異なりなどがあり困難の度合いが高まることもまた悩ましい。
・児相担当職員を育てることが必要。決定権を持つ上司が納得できるような論理を里親側で用意して担当者に持たせることで話が進む。里親は突然に親になるためプレママ、マタニティのグループ から取り残され、途中から既にできたグループのところへ入っていくのもなかなか難しい。その一歩を踏み出す橋渡しを周囲がやれるといい。里親は全部自分でやろうとかんばってしまうことが多い が、普通の子育てをしている横並びの存在として普通の支援の枠組みの中に入れて普通に支えてもらうようにしたほうがいい。
・地域は驚くほど里親を知らない、民生児童委員の業務に里親関係のことは入っているのに。民生委員の集まりに出前口座をしてはどうか。
・養子縁組をした後もフォローが欲しい。
(座)委託数を増やすには里親が力をつけることが有効。児相も、里親候補者も里親がその背中を押すことで一歩進む。こっちへ入ってきたらきちんとサポート、フォローも。
・療育・治療が必要な児童は専門機関につなげることが必要。被虐待児は専門里親に委託されているという建前はやめて被虐待児へのフォローを養育里親宅にいる児童にも届くように。 ・公的サポート体制を充実させれば里親委託できる児童も増えるはず。窓口も数も増やしていかないと。
・若手の職員や里親でソーシャルネットサービス(mixi、facebookなど)を使える人を通じて孤立化を防ぐこともできる。学生時代に回した交換ノートのようなものでもいいのでは。
・児相を通してもいいし、通さなくてもいい相談窓口を整備し、情報提供を。里親同士でも相談機関同士でもケース例、対処例を情報共有すれば対応力が上がる。
・各家庭や機関に埋もれている有益な情報を「こんなこと言うまでもないんじゃない」と思わず共有を。制度の整備にはロビー活動も有効、市長でも議員でも有力者に会う機会があればどんどん働きかけを。
・都の家庭支援センターは認定心理士資格者を里親推進員に充てている。

<まとめ>
(助)里親の「数の力」による全体の力をアップで非孤立化を。委託時のアセスメントをしっかり、フォローもしっかり。専門的治療のできる施設は満杯状態という現実もあるのでそういう対応が必要な 児童が委託されたときにフォローが必要。里子だけでなく里親のメンタルケアも、がんばらない&よくばらない子育て、できたことを喜ぶ姿勢で、できないものはできないのだと思えば苦しくない。
(座)児童は地域で暮らしているのだから児童福祉は地域とは切っても切れない(施設に入ってそのままという高齢者のやり方も改善すべきだが)、欧米などで施設・精神科病院の解体が進んでいるように 日本でも里親がその先鞭をつける役割がある。

※上記内容は当日の内容を管理人が聞き、再構成したものです。

第58回関東甲信越静里親研究協議会埼玉大会レポート



平成24年7月8日(日)
さいたま市
さいたま市民会館うらわ

シンポジウム  元里子4人による体験談「里親家庭で育って感じたこと」

(1人目)
・5歳のときに母死亡、父蒸発。親戚宅を転々とした後里親委託。大人への信頼感がなくなりかけたときに里親宅へ兄妹一緒に行けたことでふみとどまった感じ。 自分が妹を守らないとという気持ちがあったし、自分が歩んだように妹も歩むのだから手本になりたいという責任感もあった。児相では兄弟の殻に閉じこもるからと兄弟を分けるところもあるようだが、そうならないように対応して絆を守ってほしい。
・嫌われなくないという思いを持っていた。嫌われたら居場所がなくなるという猜疑心があったのかも。
・自分より後に委託された新生児に対する葛藤、愛情がそっちへ偏っていると感じた。
・里親の離婚があったとき、困らせることも多かったので自分がいるせいかなと思った(実際には違ったらしいが)。ここにはいられなくなるんだろうなと思ったが里母が「何をしてでもみんなで暮らせるようにするから」と言ってくれて信頼がより固まった。 でも2ヵ月後に別の男性と再婚するという展開には驚いた(笑)。その人とはうまくいったので反抗期ものびのび出したと思う。
・実父を探す気持ちが生じたのは過去に向き合えるだけの準備ができたからだと思う。
・里子の人生は里親の提供してくれる環境で大きく左右されると思う。子どもが自信を持って「幸せ」と言えるように育ててほしい。
・物心がついて「自分は里子なんだ」とわかった状態でのスタートだったので、その事実は受け容れていたそのうえで「里子だから」と反抗するのは何か違う気がしたし、したくなかった。また、「里子だからダメなんだ」と言われたくないので頑張ったというのもある。

(2人目)
・乳児院から3歳で委託され、10歳で告知を受けた。
・告知のときは「目の前にいる親が生みの親ではないということ」の衝撃があったのと、これからも今までと同じようにしていいのだろうかと揺れる気持ちがあったが、両親は変わらず受け止めてくれたのでよかったと思う。
・20歳で養子縁組をしたときは嬉しさと戸惑いがあった。楽になった感じと里子ということに負い目を感じなくなった。
・里親同士のつながりが里子同士のつながりを作る。「自分だけじゃない」という前向きな気持ちや肩の荷が下りる感じ、将来のビジョンが見える効果がある。里子同士の出会いの機会を作ってゆきたい。里親さんは子どもたちをその場に送り出してほしい。
・さくらネットワーク(旧全国里子会)はまだまだ活動が不十分だけど、集まるところから始る、里子に知らせてほしい。
・8年間施設職員として勤務し、関係作りの難しさから育てることの大変さ、里親の凄さを知った。
・血縁ではなく、心、そばにいることのほうが大事。子どもたちには「今は実感できないだろうけれど、あなたのことを一番大切に思ってくれる人がいることの幸せがいつかわかるよ」と伝えたい。
・委託前に子どもが持っていた歴史と里親家庭の歴史を緩やかに解け合わせてほしい。
・里親+里子の支援=「里親子支援」で進めてほしい
・里親には養育に自信を持ってほしい、私たちもその養育に協力したい

(3人目)
・3歳で委託、短大卒で保育士をしながら里母の養育の手伝いをしている。
・小学校時代に里母から渡された「赤毛のアン」「キャンディキャンディ」を読みふけり、自分の境遇を理解した。
・門限のルールなどの厳しさは、当時はどこでも一緒なんだと思えなかったが振り返れば里子だからという区別はなかったと思う。
・告知の際は自信をもってどっしりと構えて伝えてほしい、後ろめたさやネガティブさは子どもにも伝わる、うつる。
・「自分は親に捨てられた子なんだ」という負い目があった、捨てられたという恥ずかしさもあった、普通じゃないんだという意識。
・いっぱい叱って、抱きしめて、笑って暮らしてほしい。
・結婚相手にも里親になりたいと最初から伝えてあったので子どもができずに数年過ぎて里親登録を申請した、研修・実習・家庭訪問を終えてやれやれと思ったところなんと妊娠判明。不妊治療の必要性も示唆されていたのに・・・聞くと似たような経験のある人が結構いるそうで、もしや里親登録がわが子との縁を呼んだのかも?

(4人目)
・1歳半で委託、小3で告知、高校生までは里親姓で過ごした。
・荒れていた時期はすごい言葉をぶつけたし、ルールに反抗もした。でも真正面からぶつかりあって、自分の言い分を聞いてくれ、そのうえで自分が言いっぱなしにならないようどうしていったらいいかを提案してくれた。
・いわゆる問題行動があるとき、周囲の協力を得て自分ひとりでやろうとしないことが大事。ムリにどっしりかまえようとしないでもいい。加えて本人に直接話を聞くようにしてほしい、その場を作ってほしい。
・介護の専門学校中退後、アルバイトで家にいたが20になったとき「家を出てもいい、自分の責任で生きていい」と言われあせりや居場所を失う感覚が生じ、甘えていたと感じた。
・両親が本気で、全力で受け止めてくれたことで自分の過去にとらわれることがなかったのだと思う。
・今の自分の子育ての基本は子どもとしっかり向き合うこと、両親がやってくれたことをやっている。ケータイっ子だった自分が周りから「どうしちゃったの?」といわれるくらいケータイは見なくなった。

※上記内容は当日の内容を管理人が聞き、再構成したものです。

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