項目 内容

ふじ虹の会フォスターセッション
参加レポート



平成25年10月27日(日)9:30〜16:30
富士宮市総合福祉会館
 安藤記念ホール


案内チラシ

パネルトーク1「社会情勢から考えるこどもの権利と大人の暮らし」

(印象に残った発言)
・自分の子育てだけで手一杯、目一杯の状況では自分のしていることを冷静・客観的にみることができないのは当たり前。密室となった家の中だけを見ている人に家の外を見る機会を得られるような、子育てイベントへの連れ出し、レスパイトによって一人になる時間を確保するなどの支援が有効ではないか。
・親権の壁は確かに厚く、行政として法律上の一線を越えることは難しいだろうが、そこで立ち止まらず「ぎりぎりできること」の知恵やアプローチをさぐってほしい。全国レベルで情報共有を進め、て各現場で最先端の対応ができるようにしてほしい。
・権利という言葉すら知らない、扱えない子どもの権利を枠組みつくりから保護までを担うのが大人の責任。大人相手にしたら大ごとになることでも子どもに相手したら問題なしってどういうこと?という子どもの声に応えよう。
・児童福祉という名だが、「子どものための福祉」になっていない。子どもにかかわる大人のためのルールでしかない。法律が子どもの悩みや困りごとに届き、子どもたちがこの法律を「いいね!」と言えるようなものにしないと。
・里親制度が一般化していないのは「特別な人でないとできない」という先入観やそれに近い制度をとりまく現実がある。意欲と最低ラインの養育環境があれば「どんな家庭でもサポートします」というくらいの支援体制があればもっと広がるのではないか。養育の質の確保は大事だが、入り口を狭めるという形での質の確保では絶対数は増えていかない。市民の意識の中にある里親制度への小さな思いを掘り起こし、仲間に迎え、その後は徹底的に育て、鍛え、支えるという流れができるといい。
<感想>
里親会の副会長さんの話題提供、地域の議員さんによる回答という形式でした。会場にいるのは里親関連施策への興味が高い市民ということで、発言に対する反応なども含めてこの課題についての濃密な意見交換になったのではないかと思います。立場や方向性の違いはあれど、ミッションを共有していくことはできるという希望を感じました。


パネルトーク2「これからのこども福祉を素敵に語る」

(印象に残った発言)
・施設は物理的には地域の中にある、しかし心理的には地域の中に溶け込んではいないというのが現状なのでは。
・地域のつながりが薄くなっている現在、地域も施設が地域の一員となってくれることを望んでいるのではないか。
・施設側の都合、立場、目線で動いているとできない理由が正当化されてしまう。体制的にできないことは確かにあるが、その中でも「施設でもできること」「施設だからできること」をやっていきたい。
・里親家庭とのつながりは限定的。広げる一案としては施設とかかわりのある(ショートルフランや措置変更で関わった)里親家庭との協力関係の構築や、その里親家庭さん同士のネットワーク作りの支援ができないかと思う。正直、施設への不満や要望など共通するマイナス情報もあるだろうけど、そういう共通項でもつながりには役立つだろうから。
・18歳で自立しなければいけないというのは心理的にも物理的にも困難を極める。失敗しながらでも自立に向かっていけるよう、退所した子どもたちにとっての両面での拠点になれればいいと思う。
・里親家庭でも自立の課題は似たものがあると思う。施設は同じ児童相談所の領域に属するので一般社会に比べて児童の事情の理解、守秘義務の意識、などについて親和性があるので社会に出る前のボランティア体験先などに活用してもらえるのではないか。
<感想>
施設内で使われている技術、知識、用語などには外部からみると興味深いものがあると思う。施設に蓄積された養育に関する 資産は地域に活用してもらえるのではないかと思います。


「IFCO2013大阪世界大会報告」

・世界基準としての社会的養護の担い手の検討の順番は「親族里親→縁組里親→養育里親→FH・GH→施設」施設からまず検討が始まるのはまったく逆の考え。
・どの国でも従来型の行政主導の取り組みは失敗している。諸外国では民間支援団体が地域や制度を動かした。民間と行政の重みの上下はない、むしろ民間の力をとりこめない制度は伸びない。
・ユースと呼ばれる若年世代が積極的に関与している。子どもの声、ニーズをもとに当事者として里親制度にかかわっている。年代が近く、同じ立場の存在だから届く言葉を彼らは持っている。
・親の状況など、悪い事実であっても、それを隠されるほうが知らされるよりも悪いこと。何も知らされずにおくことは必ずしも子どものためになることではない。
・LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスセクシャル)のカップルによる里親養育は国外では当たり前に存在する。「家族の形はいろいろ」と言うのならその形式を否定することはありえない。生まれ持った性をそのまま肯定することは当然。LGBTの子どもを養育する人、支えるのに最も力になる人は彼らでしょう。


鼎談1「我々はどこへ行くのか?〜虐待事件から考える〜」

(印象に残った発言)
・「地域のつながり」「地域の絆」耳障りのいい便利な言葉です。でも具体的にどういうことなの、今の地域ってすごく悪い状態なの?昔の地域は完全無欠だったの?少年犯罪は昔のほうが統計的に見ても多かった、統計に出てこない虐待だってあったでしょう。されど、人と人とのつながりには可能性がある。地域と大きく言わなくても、近所のお付き合いから考えればいいのでは。
・虐待という暴力は恐怖を受ける。そこで介入できるかはその人の持つ勇気にかかっている。幼稚園・保育園で「○○ちゃんがいじめてる」とみんな言える。何で大人になると言えなくなるんだろう?
・父子家庭の内包するリスクは多きい。男は弱さをさらけ出せないという風潮。会社で「子どものことで・・・」と頼みごとをするのは女性のほうが上手。
・困ったときにSOSを出せない、受け止めてくれない「会社」が生活を成り立たせる柱であり鎖になっているという不幸。男性でも会社の中で弱音を出せて、それを受け止めてくれる人がいるのが成熟した社会なのでは。
・結婚は幸せをくれるものと思っている人が結婚すると、結婚生活の中で幸せでない要素が生じるとそれを排除・攻撃しようとする。それがDVや虐待になるのでは。幸せの設計図に「夜じゅう泣く子ども」「なつかない子ども」「自分よりも子どもを優先する配偶者」「仕事を優先する配偶者」は存在していなかった。
・何ができるか?できないこと、続かないこと、無理があることはやらないでいい。だけど、できること、法律には書かれていないけどこっそりならできること、人としてやるべきことはやろうよ。
・今の児童福祉は法の枠内でガイドラインのやり方でやっているだけ、制度以外のことは「やれない」と言って「やらない」。子どものニーズから出発していないから子どもを救えるわけがない、法に則っていないことは法律に縛られない誰かが始めないと誰ももやらない。行政にそれを求めるのがムリだと感じたなら、その外側でスレスレのところをこっそりでもやり始めないと。
・「地域」はすでにあなたの目の前にある、あなたがそれに気づき、いかに地域にひっかかれるか次第。
<感想>
現実は誰の目の前にもありますが、それとどう向き合い、切り込むか(あるいは見過ごすか)は世界をいかに冷静に俯瞰的に見られるかによるのでしょう。そういったクールでホットな人を見ていると心がどこか熱くなるのを感じます。


鼎談2「私たちが前を行きます!夢ある地域をデザインする」

(印象に残った発言)
・夢を描くということは子どもや若者の時代の特権ではない。いくつになっても夢を描くことはできる。大人が夢を抱き、語り、実現する姿を見て子どもも夢を描けるようになる。
・夢には4つの象限がある(ドリームマップの考え方)。「物質的自己実現(これがほしい)」「精神的自己実現(こうなりたい)」「社会への貢献(こんな社会になるといい)」「他者への貢献(誰かを笑顔にしたい)」
・縁で出会い、縁がつながり、また縁を生む。狭い世界にいると現実の苦しさに支配されて、夢も抱けない。家の中で言えば愚痴は独り言で自己嫌悪を深めるだけだけど、外で吐き出せばすぐに根本的な解決にはならないけど、発散したり、共感してくれる人がいるだけで心が軽くなることもある。
・おせっかいは時として相手を追い詰めることもある。おせっかいをするときはまず相手を「がんばってるね」「大変だよね」と肯定すること、デリカシーの無いおせっかいは「こんなことで声をかけられるくらい私何もまともにできないダメな奴に見えるんだ」と思ってしまう人もいる。
<感想>
人と会うことは自分の壁を壊すこと。自分が常識だと思ってたことを軽やかに吹き飛ばしてくれる。それは日常における小さな奇跡なのかもしれません。


里親発表「あなたへのおくりもの」

・同じ社会的養護の現場である施設でとことん子どもにかかわろうとしたら勤務時間を越えざるを得なかった。交代勤務の職員は家に帰る人、帰れる人。いっぽう子どもたちはずっとそこにいて、待っている。
・施設の中で感じたことをふりかえり「彼らが気軽に来られる家を作りたい」という思いに行きついた。
・どんなに困難が予想される子どもでも「その子が困っているなら委託を断る理由はない」
・親の中にはどうしても子どもを育てられない人もいる。虐待をしてしまう親も完全なる悪ではない。みんな普通の人間、自分とも紙一重。
(「ふたりのおかあさんからあなたへのおくりもの(いいたかもとこ 訳)」朗読)
<感想>
里親は普通の人。どの里親さんもそうおっしゃいますが、その真実の一端に触れたように思いました。誰もがこの世に第一歩を踏み出すときの姿は同じであるように、だれもが何者でもなく、何者かになれる。そんな勇気をいただきました。
朗読された絵本は真実告知を扱った内容の、とても素敵で私も大好きな絵本です。



(管理人まとめ)
里親会主催の催しでしたが、里親のみに焦点をあてた話題構成ではなく、さまざまな視点・立場から子どもと子どもににかかわる人の問題を扱った フォスターセッションという名前にたがわぬ「フォスター=実親でない養育者」の集会でした。近所の大人、子どもに関心のある大人、そうでもない大人 すべての大人がフォスターであり、よきフォスターでありたいなと思える時間でした。

※上記内容はセッションの内容を管理人が聞き、再構成したものです。「発言」と表記していますが、管理人が受け止めた心情を加味した表現であり、発言者の言葉どおりの記録ではありません。

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