項目 内容

ふじ虹の会フォスターセッション
2016 参加レポート



平成28年10月30日(日)10:00〜16:30
富士宮市総合福祉会館
 安藤記念ホール


「新時代の幕を開ける〜No one will be left behind〜」

1:主催者挨拶

(印象に残った発言)
・サブタイトルを直訳すれば「誰も取り残さない」という意味ですが、援助対象者を全てすくい上げる、という意味ではありません。援助者と被援助者という関係ではなく、全ての人が地域づくりに関わる、全ての人を巻き込んでゆくというということです。
・フォスターセッションの原点は家族の辛い涙を減らしたいという思い。

2:行政説明「富士市・富士宮市の現状」

(印象に残った発言)
・児童虐待相談処理件数は毎年増加し、児童虐待防止法施行時の平成12年から15年が経過して5.8倍になっている。増加要因の一つには一般市民の関心の高まり、児童相談所全国共通ダイヤルの短縮(189)があると思われる。都市部ほど人口比の処理件数は多くなる傾向がある。
・虐待の4分類の中では心理的虐待(特に面前DVの被害、警察からの通告)が増加している。警察の対応も通告して終わり、ではなく加害者に厳しく対処する(全治1〜2週間の傷害でも親を逮捕するなど)ようになっている。
・起きてしまった虐待に対応するよりも、虐待を防止することの方が被害を減らせる。身体的虐待を体罰ととらえると、学校では体罰が禁止されているが、家庭では親の子どもに対する懲戒権が民法では(子どもの利益のためという前提のもと)認められており、課題となっている。
・児童福祉法の改正理由は「新たな子ども家庭福祉の形成」、国や地方自治体の役割の具体的な記述、妊娠中からの支援(母子保健分野)、子育て包括支援センター、児童相談所の体制強化とともに里親支援と養子縁組が業務であることの位置づけなどが記されている。しかし、里親担当職員の明確な人員増などには触れられておらず、それぞれの自治体任せとなっている点は課題として残っている。

3:児童福祉施設企画「親ではない大人と暮らすこどもたち」

(印象に残った発言)
・児童家庭支援センターは要支援家庭を要保護家庭にしないためのサポート、要保護になってしまった家族のサポートも行っている。
・従来の大規模児童養護施設と里親との中間にあるのが小規模児童養護施設。グループホームはその中でも定員が6人とさらに小規模の度合いが高い。郊外型で大規模な建物で集団行動が前提の従来型と違い、地域の中の一軒家で地域(近所)交流が日常であり、日課も柔軟性がある<当たり前の生活>を保障できる利点がある。・日常的に交流していた近所のご婦人が亡くなるということを児童が目の当たりにし、命日にお墓参りに行きたいと申し出るなど地域の中での経験を積めている。
・社会的養育が必要になる子どもの生活の場所として、<施設・グループホーム・里親がそれぞれ1/3の比率になることを目指す>という将来像があるが、その道のりは簡単ではない。単純に少人数だから家庭的な場になるわけではないし、地域に溶け込んでゆくには時間と職員の意識的なかかわりという労力が必要になる。
・6人定員の施設でも1対1の時間を確保するのは難しいときがある、「自分のことだけ見て見てアピール」をしない子は特に後回しにされやすい、大規模施設ならならなおさら。
・家庭=家族は文化の共有という側面があり、時間をかけて築かれた歴史と継続性による、うちはうち、よそはよそという枠組みを納得できる間柄。そこには祖父母的な存在の職員が確保できるといい、職員も悩みながら子どもに接しているからそのサポート役になったり、多様な人の関わりがより自然な関係を育む。
・(里親体験談)高1から受託した子は、育ち直しを2ヶ月かけて1年分という感じでしていった。それこそ0歳児のような関わり方もあり、行ったり来たりを繰り返して少しずつ成長していった。特に自己決定という点で、「自分で何かを決める」ということを自分で十分な時間をかけてもらってしてこなかった(できないでいた)。里親は1対1の関わりがしやすい、既に地域の中に溶け込んでいる、家族の形が大枠でできているという利点がある。
・行政としては子どもの利益を最優先に考え、里親委託を第一選択肢としているが、施設を選択する場合はそれぞれの施設のカラー、規模、児童の自立に向けた条件、進路によりマッチする先は異なるので、本人の意思も踏まえて選択肢と移行のしやすさを確保することが大事、そのためにいろいろな背景を持った里親がいろいろな地区にいてくれることが望ましい。
・子どもにとっては委託期間よりも、18歳or20歳から先の自立後が長いし困難なのでそのサポートが必要。

4:トークセッション「改正児童福祉法を読む。語る。そしてこの町が住民の手によって素敵になることを多大に期待する」

(印象に残った発言)
・基本のキ、法律の基盤になる第1条から変わっている。そこで子どもの権利擁護を児童福祉法の理念として位置づけ、子どもの視点に立った法律の正確と目的を明確にしている。子ども家庭福祉は「子どもは養護される客体=保護中心」から「子どもは成長・発達・自立する主体、保護者や行政はその権利を保障する=養育中心」に転換していくことになる。
・国、県、市、児相の役割が明確化され、より踏み込んだシステムや体制づくりが求められている。
・家庭支援(妊娠期含む)が明確化され、その方向性に沿った施策を展開し、支援を強化していく必要がある。
・職員の専門性の確保、向上と配置数の増加。弁護士の配置は親権者の意思に反する措置をとる際(28条ケース)の裁判所への対応ばかりでなく、児童の権利を弁護士が守るというところまで行ってほしい。
・里親制度の充実強化。里親制度の質の拡充や里親支援も児相の業務、民間活用も積極的に。施設の形の変化に合せて市・児相も変わることが求められる。
・法改正による行政の変化は全国(県・市)一斉の体制を整える都合上、そのスピードはゆっくりなのが現実。法の精神を一般市民が理解し、個人から個人、個人から地域社会へと広げてゆくことで行政がそれに追いつかないとと思わせることが必要、それが国民の責務。地域で児童の権利の話、里親の話をしていくことで変化は広がっていく。
・法律に基づいて整備された相談窓口に対し、全ての人が相談したいとは思わない現実がある。権力が後ろに透けて見えるところよりも、シンプルに「わかってくれる人、信頼できる人」に会いたいという心理を支えないと相談にはつながらない。保育園の子育てサロンや、先を行く人たちの集まっている、「相談」を第一の役割にしていない場所のほうがかえって良い。
・妊娠期や乳児期の、親や親族にあれこれ言われてストレスフルな状態にあり、外出するだけでも一大決心と準備が必要な母親が情報にアクセスしやすい、自分で選べる選択肢が多いという地域の基盤を作ることのほうが効果的。その裏方として行政には動いてほしい。
・法の意図することは被虐待事件への対処療法ではなく、虐待発生予防。まずは保護者の責任のもとでの在宅生活の支援の充実、要保護になってしまったら家庭復帰のための養育里親家庭をコアにしての支援、家庭復帰が困難なら養子縁組や自立のための専門的(医学的・心理的ケア)支援を受けられる施設のリソースや短期入所の利用も検討。


5:シンポジウム「動き出す人たち〜私たちが見た社会的養育〜」

(印象に残った発言)
・ふと気づくと産後6ヶ月が経っていた。そのときの私の夢は「あったかいラーメンが食べたい」だった。子どもの生理的欲求、安心・安全の欲求を満たすために日々を過ごしていると、自分のことはそっちのけになり、自己実現の欲求のレベルがすっごく下がり、気持ちがすり減っていくことを感じた。それを回復させるのは「社会的活動」、いろいろな人とつながり、いろいろな自分を再発見する。子育てをしながら、子育てをしている自分だからこそできる、「社会全体で子どもを育てる」を実現させたいという思いへつながった。
・「ふじのみやベビーステーション」は安心できる場所を街中につくるこころみ。子どもの欲求、母の欲求を、家庭の中で、地域の中でケアしてあげる。地域の中にいるみんなが集い、仲間になり、みんなで子育てをしていくことを具体的な手助けとして実現する。街中にたくさんある商業施設や商店街そのものという大げさな動きではなくても始められる、一軒一軒のお店にいる「人」に助けてもらえる嬉しさを感じられるように。
・コミュニティFM営業部長として企業を回っていると、「深い人間関係を築こうとする上の年代はウザい」「おせっかいなコミュニケーションは迷惑」という若者の採用に困っているという声を聞く。自分と異なる文化を持つ世代との交流をしたがらない、苦手としている彼らは自分の裁量で相手を選択できるうちはいいが、いざ逃げられない状況になったらすごく大変な目に会うことが多い。虐待や自殺の一因がそこにあるのではないだろうか。
・社会に出る前に(昔はあたりまえに存在していた)社会経験の機会を奪われている子どもたちもいる。親の価値観や行動、例えば「PTA役員は大変だからとならない」「自治会にも入らない」「車での移動ばかりで近所を歩くことすらしない」こういう親の元にいる子どもは子ども会にも入れないから近所の子を知らないし、近所の大人も知らない、全ての人を不審者疑いで見るような、社会を知らない子どもになってしまう懸念がある。<家庭教育・社会教育・学校教育>という3分野のバランスが学校教育だけに特化するような家庭はバランスが良くない、子どもが成長するチャンスは学校の外にもたくさんあるのに、それを極端に狭められている。
・全ての大人にとって、世の中の子は将来の仲間、そう意識を変えて目の前の子どもにどう接していけばいいかを考える。
・自宅にいられない子にとって里親委託が一番いい、そう言われているようだが、委託されたらそこでハッピーエンドとはいかないようだぞ?というところから感心を抱いた。委託後には何があるのだろう。ある里親さんは里子との関係を指して「私たちは血縁ではなく同士、苦しみを互いに抱え、ときには重ね、乗り越えてきた関係。」と言っていた。一般的な定義による「家族」の枠にとらわれない人と人とのつながりにとても希望を感じた。
・親子という上下でも、友達という左右でもない、「ななめ上の大人」になら誰しもなりうる。関係がそこまで深くないからこそ、言える事も聞けることもある。ただ、気にかけてくれるだけの人というのは里親にも実親にも言えないことを抱えた里子には貴重な存在なのではないだろうか。関係がおかしくなるんじゃないかとおっかなびっくりで接するより、ちょっとガサツに見えてもストレートに飛び込んでくる気持ちのほうが、反発はあっても後味がスッキリするような気がする。
・幸せのかたちは1人1人異なってあたりまえ、実の親子ですら違うことはある、一緒に暮らすことが唯一の幸せのかたちではないこともある。家族に全てを求める、家族が一番大事という大号令を叫ぶ人には注意しよう。「適度な家族」というのがいい場合もある。料理の味付けでも薄口がおいしいものもある、濃口だと辛い(からい=つらい)味になっちゃう。幸せのかたちはその人個人が選ぶものだから、応援はできても押し付けはできない。



5.5:飛び込みスピーチ(静岡大学2年生 高橋さん)
IFCA(インターナショナル・フォスター・ケア・アライアンス)の静岡での当事者団体を立ち上げたいと考えているとのこと、興味を持たれた方はご支援いただけるとありがたいです。


6:ラストスピーチ 里親体験談

(印象に残った発言)
・その子の特性は今まで育くんできた財産、かかわってくれた大人たちが自分に渡してくれたもの、それをプラスに受け止めていきたい。
・社会的に見ればこの子は難しい状況にいるのかもしれない、でも家の中では普通に生活している。難しいことの対応は得意な人に任せようと思えば、あたりまえの存在になる。そんな存在に里親家庭もなっていきますように、みんなの仲間になっていきますように。


(感想)
「児相福祉法の大改正」と、専門家の方は言いますが、それを現実社会に活かしていくのは、むしろ動きの鈍い行政を尻目に先行していくのは一般市民の側であり、その一端を担うのがこのセッションなのだと感じます。

※上記内容はセッションの内容を管理人が聞き、印象に残った部分を再構成したものです。「発言」と表記していますが、管理人が受け止めた心情を加味した表現であり、発言者の言葉どおりの記録ではありません。

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