項目 内容

ふじ虹の会フォスターセッション2018
〜子育ての緊張、ほぐしましょう〜
参加レポート



平成30年10月27日(日)
10:00〜16:30
富士市フィランセ
 西館4階大ホール

イベントフライヤー

1:行政説明「富士市・富士宮市の現状」

(印象に残った発言)
・平成29年度末の統計でみると、全国では虐待相談件数は133,778件(28年度:122,575件)と過去最高を更新中、一方県内では2,368件(28年度:2,496件)と減少に転じた。富士児童相談所(略称:児相)管内では327件(28年度:248件)。
・児相全国共通ダイヤル189の開設、死亡事件についてのマスコミ報道による危機意識の向上、警察の面前DV連絡の徹底などが要因として考えられる。
・虐待通告があってから48時間以内に子どもの安否確認を行っている。児相が行くこともあるし、関係機関が確認することもある。そこで親子分離が必要と判断した場合、施設や里親に受け入れを打診して一時保護を行う。
・静岡県の登録里親数(静岡・浜松市は除く)は271家庭、それに対して委託中の家庭数は83。県全体の里親委託率(社会的養護が必要な児童のうち里親家庭で生活している児童数)は27.4%。
・全国平均は18.3%なので高い方なのだが、国は「6歳未満は75%、それ以上の年齢では50%」という(べらぼうな)数値目標を掲げており、県もそれを受けて計画を作成中。
・里親委託率が高いところでは、里子の不調(養育がうまくいかない状態)が発生しているところもあると聞く、十分な調整や支援体制が整わない状態で児童を里親に委託することはリスクを伴う。
・里親の高齢化により、里親として登録はしているが、実際には長期の養育を行うのが難しい里親もいる。分母を大きくし、様々な課題や特性(発達障害、被虐待経験など)を持つ児童をどこかで受け入れられるように整備していく必要がある。
・目黒区での女児虐待事件では児童相談所間の連携のまずさが指摘された。虐待の起きている家庭が転居する理由で多いのは、経済的な困窮と周囲との関係のリセット願望。どちらも根本的な課題は継続するので虐待のリスクは大きいまま、周囲とのつながりだけがリセットされる危険なケース。


2:里親普及啓発報告

(印象に残った発言)
・校区里親=児童が自分の学区の中で里親に委託されることで、慣れ親しんだ人間関係や生活環境地域とのつながりを失わずに済むために「1校区に里親家庭1以上」を目指している。あと9の校区が空白です、会場のあなたの校区だったら、ぜひともお願いします。
・富士市に26あるまちづくりセンター全てで里親相談会を実施中。回覧板にチラシを入れることで多くの人の目に留まる効果があった。35組が来所し、4世帯8名が登録となった。
・富士市は児童が入所する施設がとても多い地域で、児童養護施設3、乳児院1、障害児施設6、児童心理治療施設1がある。ゆえに、そこから長期休暇などに自宅に一時的に帰省することのできない子どもたちを里親家庭で受け入れるショートルフランという制度での里親稼働率が高い。


3:写真展フォスター トークセッション

(印象に残った発言)
・写真に写っているのは里親、里子、及びそれを取り巻く様々な人々。写真展を開催する会場でのみに限定して公開している。
・児相や実親の意向に配慮して撮影される「(個人が特定されないように)全員が背中を向けている家族写真」は、社会的養護の世界ではあたりまえになっているが、撮影者からすれば「初めて見た」とのこと。様々な背景(実親のを持つがゆえに、家族なのに一緒に写れないということが生じる家族もある。写真に写ることについて、家族の中でいろいろな話がされた。
・関係者の熱意と尽力による福祉の支えによって助かっている人が多いことは否定しないが、福祉というくくりがあまり表に出てしまうと「普通じゃない」というフィルターがかかって見えることにもなってしまう。大人はもちろん、子どもとしてはよりいっそう「みんなと違っていたくない。普通でありたい」気持ちを持つ。危機を脱するきっかけの場面では「福祉」が前面に出る必要があるけれど、その先はなるべくその色は薄まって欲しい。
・里親や里親関係者が里親のことを語る体験発表の場には、その内容に感じ入る人も多いが「すごい人だね」「私とは遠い世界のこと」という壁が感じられることもある。言葉やラベルのない写真の中にはそういう壁は現れない、「あそぶ・たべる・ねる」という生活の中の姿は里親家庭もその他の家庭も同じということがわかる。福祉というくくりではなく、あたりまえの生活の中で育つ姿を写している。
・「あたりまえ」をもらえなかった、失ってしまった子どものそばによりそい、再び「あたりまえ」の道を歩み始めようとするのをそっと支える、そんな支援であればいい。
・里子にカメラを渡し、里親の写真を撮ってもらったところ、そこには「社会のためにという崇高な志」や「どんな困難にもめげない強さ」という、第三者がかぶせがちなフィルターは一切なく、信頼関係によってしか引き出せない、とても素敵な表情が写し出されていた。
・バースマザー(産みの母)が写っているものもある。とあるバースマザーは「私が写真としてそこに出ることで伝わるものがあると思う」「預かった人(里親)はよく表に出るけど、預けた人(バースマザー)はまず出てこない、いったいどんな状況だったのか、今はどうしているのかという情報はとても少ないから、それを表に出すことは意義があると思う」「子どもを産んだということは、私の人生の大切な1ピースだから隠さないし、なかったことにはできない」「自分の感情や衝動で子どもにかかわらないようにしている、そんなことをしたら子どもがビックリするでしょ、子どもが私にしてほしいことがあるときだけ、ちゃんとそれに応えるようにしたい」と語ってくれた。
・実情として、実親との交流はとても大切だけど、とても大変な取り組み。関係が良ければ、子どもは実親に甘えたいのが当然だけど、それをできない実親側の事情もあるのが子どもにもわかる、ゆえに子どもの気持ちが落ち込むこともある。けれども周りがしっかり側で支えてあげられれば、子どもなりに自分と親の状況を把握できる、それは言葉だけで説明されるよりもずっと深い理解につながる。親としても、「自分は子どもを育ててあげられていない親」という現実を突きつけられる面もあるが、親としての役目を何らかの形で果たせるように状況を改善したいという動機づけにもなる。
・支援が必要な妊娠の状態について、最近「望まない妊娠」「思いがけない妊娠」という言葉が使われているが、どちらでもない状況(望んでいる場合もあるし、予期してもいた場合もある)も存在する。そこで「危機的な妊娠(crisis pregnancy)」という言葉を提案している。
・子どもを「生む」のにかかる期間は1年程度、一方子どもを「育てる」のは約20年(あるいはもっと)と考えれば、子どもとの関わりのメインは「育てる」ことではないだろうか。ならば、「産む」ことはできなくても「育てる」ことで子どもに関わることの大半は体験できると言えるのではないだろうか。そんな考えから養子縁組を始めた人がいる。
・育てられないまでも、産むところまではやり通した人がバースマザーだ。バースマザーが頑張ってくれたから、養子と自分の今がある。そう思うとバースマザーがどうなっていてもいいという思いにはなれない、何とか少しでも穏やかに、安らいだ日々を過ごしていてくれればと思う。


4:児童福祉施設企画「地域とつながる」

(印象に残った発言)
・「あたりまえの生活」に子どもと地域の関わりは欠かせない。地域は「居場所」「ふるさと」「仲間」「顔見知り」等々を子どもに与えてくれる。施設の持つ場としての機能を活かし、意図的に地域と子どもの接点になる役割を担う職員の力量が問われる。
・社会的養護の必要な子どもの生活する場所として施設という選択をする場合、より「家庭的」な環境を整えるために「地域小規模児童養護施設」が県内で5箇所整備されている。地域の住宅地の中に普通の民家のようにある、高齢者のグループホームをイメージしてもらうと近いかと、
・地域にはいろんな人がいる。好意的な人もいれば、あまり言い顔をしてくれない人もいる。しかし、それが自然な社会の姿。どちらの人からも、戸惑いながらだったり、おそるおそるだったりしながら、子どもは何かを学んでいく。
・様々な(本人には責任のない)課題を抱えていて、時には迷惑をかけてしまうこともあるだろうけど、皆さんの地域に「施設で暮らしている子ども」がいたら、暖かく見守ってほしい。


<IFCAインフォメーション>

・児童養護施設や里親家庭を経験した日本とアメリカの若者たちのための”IFCA(International Foster Care Alliance)ユースプロジェクト”がメンバーを募集中です!
・当事者同士の日本とアメリカの相互訪問や、シンポジウムなどでの講演、ネット上でのブログ運営などの活動をしています。国内活動拠点は関東、関西、静岡、福岡です。 ・応募資格はおおむね17〜27歳の社会的養護出身者。英語はしゃべれなくてもOK。アメリカへの訪問時の旅費はほぼタダです。
・また、活動場所は静岡市になりますが、活動を支援してくれる大人の人、サポーティブアダルトも募集中です。
・お問い合わせはinfo@ifcaseattle.org へ。ブログはhttp://myvoiceourstory.org/ja/ へ


5:シンポジウム改め鼎談「ありがとう。ゆるめる応援団」

(印象に残った発言)
・当初はシンポジスト何人かに語ってもらう予定でしたが、企画段階で伺ったお1人の話がすっごく濃くて、削るのがもったいないから全部しゃべってもらうことにしたので、「鼎談」に変更です。
・国が支援に乗り出した「特定妊婦」=「出産に何らかのリスクがある妊婦」と言いますが、一切リスクがない妊婦なんているんでしょうか。
・臨時雇用から正規雇用になったときの説明でいきなり言われたのが「妊娠には気をつけてね」。妊娠って気をつけるものなの?喜ばしいことなんじゃないの? ・組織の中では「せっかく新規採用したのに(してあげたのに)早々に妊娠するなんて!」という感覚がある。なのに自分の妊娠が発覚でさあ大変。
・キャリアのスタートでやる気十分だったのに、妊娠したことで「道を外した」「キャリアパスで遅れをとる(せっかく出会えた同期と同じように進めない)」「あんなに注意されたのに」という「やっちまった感MAX」状態。妊娠の喜びよりも組織人としての責任、立場に頭が支配される。
・口には出さないが「やってくれたな〜あの新人」という視線を勝手に感じる。中にはそこにいない妊婦を「新人のくせに何やってんだかねぇ〜」とこき下ろす人も。
・時短勤務をしている人に「いつになったら仕事に本腰を入れてくれるの?(時間中はがっつり仕事に全力ですけど?!)」とか「いいよいいよ、ちゃんと仕事できるようになるまでは適当で(ちゃんと仕事してないんですか私?!)」言う上司は存在する。介護離職をカバーするのに国は熱心だけど、妊娠・出産をカバーする態勢は考えないの?
・産むと決めるまでにこれだけのハードルがあったけれど、理解してくれる人の存在もあり、出産。そしたらそこには「産後トラップ」が待っていた。
・専門教育も受け、現場でもバリバリやっていたスペシャリストの私にしてみればわが子1人だけの育児なんてチョロイ!→の、はずが「なんじゃこりゃー!!!」な現実にやられまくる事態に陥る。

<私がギッタギタにされた体験>
・3時間ごとに授乳?はっはっはっ、3時間ごとに寝られるなんてヌルいですね、私は3時間睡眠で仕事してたこともあるんですよ♪→実際は3時間サイクルで「赤ちゃんが泣く、授乳する、その他もろもろお世話をしているうちに次の授乳がやってくる」が無限ループで続く罠。
・それまでの経験を活かして自分のことは自分のペースで進められるようスキルを磨いてきた。→全てがあかちゃんファーストにせざるを得ず、何も自分でコントロールできないという状態になり、今まで築き上げた「うまくやれる自分」が打ち砕かれる罠。
・今までたいがいのことは自分でなんとかしてきた経験があるから大丈夫→「相談窓口に頼るなんてダメな奴、ダーメダメダメダメ人間〜♪」という幻聴が聞こえてくる罠。

・産後2週間検診に来いと言われても外に出るのが不安で怖い、よく寝る子だと周囲は「楽でいいわねぇ」と言うが出産前の自分からすればメチャメチャ苦しい、回りがこんなに助けてくれてるのに「キツイ」なんて思う自分は何てダメな奴なんだという思考に陥る。
・辛いと思ってはいけないと自分を責めるので、さらに辛さは増幅する。心身ともにヘロヘロボロボロな状態においても外面を守っている裏側で自己はガラガラと崩壊し、外面という薄い皮袋の中に崩れた自分の瓦礫が積み重なった状態でのろのろと歩いているような日々。
・そこに投げかけられる「大変なのは今だけ」「こんなにかわいいのは今だけ」という先輩方の声、それに対し「今だけっていつまでなんじゃー!今夜で終わるのか!明日で終わるのか!きちんと日付を言えやー!言えねーなら”今だけ”なんて言うなやぁぁぁぁぁー!!!」と言えない。
・他人は過ぎ去った自分の過去における経験を元に「自分は乗り越えたのだからあなたも乗り越えないと」「そのくらい我慢しなさい」と、もう今の自分は苦しくないから言えるセリフを吐く。果てしなくうすっぺらい共感はメチャメチャ我慢している状況を何も好転させない、むしろ崩壊を助長する。

・これってめちゃくちゃ虐待のリスクを高める構造になっている。極限状態にある人に必要なのは「今まさに辛いこの状況を直接的に何とかしてくれるサポート」。「介護は家族の役割」とされていたかつての構造を介護保険制度によって社会化及び仕事化することで家族の負担を減らしたように、育児における家族の役割もシステムとして変えていかないと苦しんでいる人は救われない。個人・友人レベルのサポートやサークル活動ではあまりに弱い、だからNPOを作ってそこでやろうという動機になった。
・それなりに自分の力に自信を持っていた人ほど、こういった事態を想定しておらず、相談もできずに危機的状況に陥りがち。相談しても(なんか合わない…)と感じてしまうと足は遠のくし、別の窓口を訪ねようという気力も最初のときにふりしぼってしまっているので残ってない。
・相談窓口は規定のサービスを仲介または提供するだけの役割に安住してはならない、苦しみの中でやっと行動した人の、言葉になりきれない思いや背景(不信感や劣等感が混じっていることも多い)をこそ汲み取るスキルを磨き、プロによるチーム支援に加えて、相談者の家族内や地域内での応援団を作るキーマンになってほしい。
・「困りごとがあれば自ら相談に来るだろう」というのは相談先を作る側の発想、全ての人が困りごとを自分の中で明確にして、それを解決してくれる相談先を選択できるわけではない。課題解決が困難で、専門的な対応が必要な場合のほうが相談機関に足を運ぶという最初の一歩を踏み出すことに多大なエネルギーが必要となる傾向がある。経済的な問題や、家庭内の問題を抱えていたりすれば、まずは相談者の中での優先度の高い、手をつけやすいそちらへの対応にエネルギーや時間をとられてしまいがちになり、育児の困難さや子どもの発達に関する心配事は後回しになり、長い期間背負ったまま深刻度は高まってしまう。相談につなげるためには、ソーシャルワーク的な役割を持つ機関の協力を得ること、相談者に一番身近な位置に存在する相談機関側からの能動的なアプローチが必要な場合もある。
・自分の育児はどう評価されるのかというテストをえんえん受けさせられているような気がしていた、もちろんそんなことは気のせいなのだが、何がベストなのかわからないのにベストを尽くさねばという思いで空回りし続ける日々だった。
・「頼れる」ということは育児をする者にとって重要なスキルである、それがなければ一人でやろうとしてつぶれてしまうのだから。つぶれないことは正しいのだ!ダメではないのだ!それを実践することで、周囲にもそのとらえ方を広げられる、それを見ている子どもにもスキルを残せる。
・家庭や地域の応援団とつながれないケースは、家庭が地域に対して閉じていたり、家族内での緊張感があることが多い。【ゆるめる】ことからつながりは生まれる。個人として「正しくあらねばならない、大人なんだから誰にも頼らず一人でやりとげねばならないという」緊張をゆるめることで、安心して迷惑をかけあえる地域づくりにつながっていく、助けてもらった経験があるからこそ、次にまた助けを求めよう、助け合おうという気持ちが育くまれてゆく。
・ ・子育ての緊張だけでなく、親も、そんな親と暮らす子どもも、社会も、ゆる〜くほぐれてゆけるといいな。


※上記内容はセッションの内容を管理人が聞き、印象に残った部分を再構成したものです。「発言」と表記していますが、管理人が受け止めた心情を加味した表現であり、発言者の言葉どおりの記録ではありません。

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