里親・里子・里親制度の歴史を探る

【里親・里子の語源は?】

 まずは用いられているこの「里親」「里子」とはどこから来た言葉なのかを探ってみたい。
 そのまま解釈すれば、里親は「里の親」、里子は「里の子」と考えられます。
 では「里」とは何か?
 大元の意味を見ると「人家が集まって小集落をつくっている所」とあります。
 その意味の里の概念は中国の地方行政単位の1つとしてあったものを、日本古代の基本法である律令制の中で採用したことが始まりであるようです。  740年ごろ、この里は廃され、以後「郷」として残存したとのことです。
 また「ふるさと、故郷」という意味もあるようで、「郷」の字のつながりがあることから同じ意味合いを持つのだと思われます。
 加えて都(みやこ)に対する言葉として「田舎、地方」という意味合いにも使われるようになっていったようです。

大雑把にまとめますと、昔の集落の単位であった「里」(田舎、故郷、地方)で育てられる「子」を「里子」と言い始め、「里子の親」になった人を「里親」と呼んだのが始まりのようです。



【里子という概念の始まりは?】

 さて、「里」の意味するところははわかりましたがではどうして子どもが「里」で育てられることが始まったのでしょう?
 乳母(うば、めのと)という言葉があります。母親に代わって乳児に母乳を飲ませ、子育てをする女性のことを言うようですが、 よく歴史絵巻に出てきます。母乳の出がよくないと人工乳もない時代は乳児の成育に大きな支障になります。 そのため皇族、貴族、武家、あるいは豊かな家の場合、母親に代わって乳を与える乳母に授乳や養育を任せることがあったようです。 その乳母が「里」にいればその子は「里子」として預けられたのでしょう。 子育ての能力が高い(健康で体が丈夫で母乳がよく出る)女性というのは農作業などを行っている農村部に多かったのではないでしょうか。
 これはあくまで個人間のやりとりで、何かで決まった共通の仕組みとはなっていなかったようです。




【制度としての日本における里親の始まりは?】

 法律に基づくものではありませんが、日本における里親の制度は天平時代の備前国(岡山県)で孝謙上皇に仕えた和気広虫という女性が創始したとの記録があるようです。
 764年に彼女は恵美押勝の乱の逆徒の助命を嘆願して、死刑を流罪に改めさせました。 この乱により飢餓・疾病などが広まりったことで生じた孤児八十三人を養育して、夫の姓「葛木」を与え親子関係を結びます。 これだけの人数の養子縁組は単なる個人の事情を超えており、これが日本の里親制度の始まりといわれています。






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