9.
はっきりしない会話が途切れ、奴が出てきた。
いつもの寝床へ向かって行く。
草を踏むサクサクという足音が妙に耳につく、普段なら慎重に足音を消すあいつが…。
そして力無くつぶやいた。
「……ふう……明日で終わりか……」
「……残念か?」
奴の声が家の中に聞こえないだろう場所に差しかかったところで上から声をかけた。
「ベ、ベル公!!」
ツトムはかなり驚いたようで、ビクッと顔を上げた。
ここんところ、こいつは俺に見せたこともない表情ばかり見せやがる。
俺も俺で似たようなもんだが…と思いつつ、やつの真正面にゆっくりと移動した。
「……よう」
が、俺の姿を認めるとツトムはゆっくりと視線を外した。
「……久しぶり…だな」
昨日会っておいて今日言うセリフではないと思うその言葉しかツトムには返せないようだった。
一呼吸置いて、俺はいきなり本題に入った。
「…どうするつもりだよ」
「どうするって…何がだよ…」
「アイツのことだよ、わかってるんだろ?」
「……」
顔を上げない沈黙は肯定の現われだ。そのことしか考えられないに違いない。
「一緒にいたいんじゃないのか?」
「…………わかんねぇよ」
「わかんねぇ?嘘つくんじゃねぇよ!!」
「……」
「お前は自分が人間じゃないってことを気にしてるんじゃねぇのか??違うのか??」
「……っ!!」
急に耳がピクンと伸び、一瞬ぶるっと体が震えたかと思うと毛が逆立った。
図星、のようだ。
固まったままのツトムに俺は続けて言った。
「お前とアイツじゃ流れてる血も違う。食い物の違いもガマンしなきゃなんねぇ、だからじゃねぇのか??」
「……そ、それは…」
「はっ!!どーせならてめぇの血でアイツも人間じゃないようにしてやればどうだ?それでお似合いか!?」
「何だと!!??」
弾かれるようにようやくツトムが顔を上げた。
ぬけがらのようだった表情に多少の怒気と興奮が見える。
俺はツトムの顔を見据えてゆっくりと言った。
「……じゃあ、言ってみろよ」
「………!!」
一瞬芽生えたかに見えた気力が霧散したようにまたツトムが固まる。
俺は語調を強め、さらに迫る。
「『そんなもん関係ない』って言ってみろよ!!俺に向かって、俺の目をまっすぐ見てよぉ!!」
「……」
「…言えよ」
長い長い沈黙。
その後
ツトムの首筋、肩、上腕部に少しずつ力がこもっていった。
そしてようやく、
「…………そんなこと……関係ない…」
と言葉を絞り出した。
「……ふっ、そうだよ、その通りだ」
俺はツトムの真剣な顔を見つめた後、小さく2、3度頷きながらそう言った。
「……」
「そんなもの、関係ねぇ」
「ベル公……」
俺の口から言葉を繰り返してやると、ツトムの体から少し緊張が抜けたように感じられた。
芝居がかった挑発ももう必要ないと感じ、俺自信も肩の力を抜いた。
「俺はアイツを信用したわけじゃねぇが…お前を見てるとイライラしちまってよ……」
「……」
「今の言葉、忘れるなよ」
「……ああ」
「さってと、じゃあ俺は行くわ。もう、会うことはないと思うけどよ……元気でな」
ツトムの目が一瞬焦点を失ったようになった。
が、すぐさまうろたえきった顔を俺に向け
「な、何でだよ!?」
と叫んだ。
そんなツトムの動揺を受け流すように俺は静かに告げた。
「俺は邪魔だよ、ここにはな」
「ばか、邪魔なんかじゃねぇよ!!」
納得がいかないといった感じで叫んでくる。
そりゃそうだ、しかし
「……いや、いいんだ、もう決めたことだ」
俺がそう言い切ると
「そ、そんな……」
(嘘だろ…)と信じられない様子で、しかし俺の思いを翻らせる見込みのないことを悟ったかのようにツトムの肩と頭が下がった。
(…行くか)
このまま飛び去ろうと思ったが、つい下を見てしまいツトムの俺を追おうともしない姿が目に入った。
その姿を見て決心がにぶることなどなかったが、俺は1つだけツトムにひっかかりを残していたことに気付いた。
(…そうだ、言いてぇことが1つ残ってた)
それを最後の言葉にすることに決めた。
ツトムの垂れた鼻先に降りていき、放心しているかのようなヤツに向けてゆっくりと言った。
「それとよぉ、1つ、訂正することがある……」
(え…?)といった感じでピクッとツトムの耳と顔が上がる。
「今のお前、めちゃくちゃかっこいいぜ」
それだけ言うと俺は身を翻して今度こそそこから飛び去った。
「ベ、ベル公!!」
背中をツトムの叫び声が追ってきたがもう振り返ることはなかった。
(ベル公…か、そんなふうに呼ばれることも…もうねぇんだよな)
少しだけそんなことを考えたが、すぐ俺は力を込めて夜空を駈けることだけに集中した。
どこへゆくかも決まっていなかったが、ただ俺はなるべくこの森を視界に入れないように高きを目指して飛んでいた。
俺は魔物、偉大なる蝿の王ベルゼバブ様だ。
そんな名前の魔物のいなくなった森で
寅井さんちのツトム君は…………
少女と、
その後幸せに暮らしましたとさ…
めでたしめでたし…
夜空には意味もなく多くの星がざわめいていた。
夜の闇の中。
姿はもちろん、羽音も聞こえない。
そしてベル公は俺の前から消えた。
おそらく……奴の言葉通り、もう2度と会うことはない…だろう……
「言いたいことだけ…言って…消えやがって………」
わけがわからねぇことして、いつもいつも…ふりまわしやがって……
いつも………
いつも…
…もう…
「…バカ野郎…勝手に……しろ………」
俺は奴が消えた空に背を向け、逃げるように草の上に倒れ込み、ムリヤリ目を閉じた。
胸の中にある、飲み込むことも、吐き出しきることもできない気持ちを持て余したまま、疲れをつかまえて眠りに落ちようと必死になった。
そんなことは、そうやすやすとできるはずもなかったが……
そして、2日目が終わった。